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託児所としての小学校2 [2005年06月04日(土)]

先日、現役の小学校教諭、岡崎勝先生の最近の『現代思想』論文を素材に、小学校論という、とてつもない話題に てをだしてしまった。■しかし、現状として、小学校が日々担当している相当部分が「保育」機能であり、実際、保護者・地域が そこに べったりと依存しきっている状況は、あきらかだろう。
■さて、岡崎先生の「小学校は託児所化すればよい」の主張は、もちろん、論文の論旨の一部にすぎない。いや、その「変奏曲」こそ、この論文だということもできるが、だとしても、先日の小文だけでは、論旨を はしょりすぎている。■そこには、「公教育とは、いったい なんのために、くりかえされるのか?」という 根源的な といかけが 読者・社会に なげかけられているのである。
■たとえば、つぎのような、「すてゼリフ」とも とれる、挑発的批判を、読者は、どうかんがえるか?

 教育改革で授業時数を増やすというのは、低学力への対策などでもなんでもない。たんに、子どもを学校へ預ける時間を増やすということに過ぎない。授業時数を増やすと子どもは、勉強するという稚拙で安直な論理は、現場から見れば大笑いである。
 学校教育が授業を中心とした教育機能を持ち続けるためには、託児所論や生活支援論を徹底的に廃し、いわゆる、「よい家庭・地域」を作って、子どもを育てようという、強い意志をもった親子しか受け入れないでおくしかない。そして、社会に時間的経済的ゆとりを持たせ、男女を問わず、会社主義の企業戦士にしないで、残業を課さず、早く家庭にもどすことから始めないと無理である。
 現前に、託児所化している学校、生活支援労働の教員を無視して進められている教育改革は、最初から現実を見誤っている。
[岡崎論文,pp.86-7]

■圧倒的な迫力である。■以前の社会主義体制を理想視していた知識人、あるいは、いまも とりあえずは めざされるべき「目標」だと 目されている北欧諸国の労働/余暇/分業水準が そろわなければ、「学校教育が授業を中心とした教育機能を持ち続ける」という、ごく単純にみえる状況が、「絶対に成立不能」であることを、論証してしまっている(笑)。■そういった 一種の「ひらきなおり」とも とれる、オドシ/スゴミの 本質に きづかない読者は、小学校教育を うんぬんする資格を おそらく もたない。■するどい読者は ご明察の とおり、こういった現場に対する 無知な教育委員とか 文科省の官僚は、もちろん「無資格者」である。■「そんなこと いっても、ないソデなど ふれない」と、ヤケ気味に ひらきなおり、自己正当化=保身に はしる 層も、おそらく 日常的には 罪悪感から にげおおせているだろうから、ほとんどが「無資格者」だろう。■いかがか?

■さて、そういった いわゆる「教育行政」に タッチしない 「ギャラリー」は、どうだろう? ■岡崎先生、生活破綻寸前家庭とか、そういった少数派でない、「ごく普通」「平均的」「家庭像」の本質をついて、つぎのように、きりこむ。

……多くの親にとって、終日、子どもが家庭にいることはまことにうっとうしいし、会社で仕事をしている間、放っておけない、心配の種であろう。その点、実利的にも、学校は子どもを預かるのによい場所なのだ。
 夏休み40日も、子どもが家庭にいるということが「たまらない」と言う親の声を聞く。ここ最近とくに大きくなってきている。(中略)……単に以前は、夏休みに子どもを放っておいても、何とかなった社会だったのだ。夏休みは、毎日、お昼は冷や麦でもかまわなかったのだ。(中略)
 要するに、外は危険だし、家庭で子どもを育てるということに経費がかかるのだ。子どもをそ育てるのが生産的な話でなく、消費的な話になっている。家庭に子どもを「置いておく」より、学校にいる方がコストは安いように見える。
(中略)
 教育改革で夏休みを短くして、学力低下に備えようという文科省や教委の考えに、親たちはさほど強く反対していない。それは、夏休みを少しでも子どもの世話で時間とお金をかけたくないという、親たちの暗黙の支持があるからだと思う。夏休みを短くすることに反対する親は、夏休みも子どもの世話が普通にでき、家にいても、それを我慢し、ときには、夏休みをバカンスで楽しめる大人たちでないといけない。
[同上,p.86]

■この 教育現場からの 不信感に、平然と「うちは 関係ない」といいはれるのは、聖人君子か、経済階級/階層に無知か、いずれかだろう(笑)。■要は、おおかたの 保護者たちの あいだに、「このご時勢、教員だけ 夏休みなんて、ふざけてる。こっちは、家事・育児は倍増しても、生活費かせぐ手間は、一向にかわらないのに」という、数十年まえだったら、絶対でなかっただろう、嫉妬心が ブスブス くすぶっている、ってはなしだ(笑)。
■では、小学校教員でない ハラナが 先生方を 弁護しよう。教員は、夏休み、40日間休暇なんてことは絶対にない。■すくなくとも、その大半は、研修・当直やらで拘束され、実は、本来はできていたはずの、自宅や準備室での、教材研究、教化法の改善などの時間がうばわれた。「教師だけ、やすんでズルイ」とは、とんだ「ゲスの かんぐり」。■教師に、いままで以上に「託児」「生活支援」労働をさせておいて、どうせ、「夏季特別手当支給」なってことは、絶対にかんがえないし、かりにも 教育財源がふやされて 増税といったことにでもなろうなら、湯気をたてながら、おこりかねないんでは(笑)? ■そんなに 嫉妬心がメラメラもえるなら、「お気楽・極楽に バカンスを享受する 社会の上層部から、もっと税金をむしりとれ」って、選挙票ででも、しめすんですな(笑)。■そういえば、いしい ひさいち さんの新聞連載マンガ『ののちゃん』の お宅も、夏休みは、毎日のように、冷や麦だったか そうめんだったような(笑)。

■ともかく、家庭生活が破綻寸前の一部家庭にかぎらず、おおくの家庭、そして地域社会が、保育力を減退させている。育児や社会化を個人的な作業、私的な空間でのできごとだと、市民の大半が わりきりたいらしく、保護者たちが 相互に排他的で、非連帯的な、バラバラな粒子群と化した(もちろん一部例外はあるし、打開策が 進行中のところもある)。■しかし それは、単なる 「日本人」の 感覚の 欧米化=個人主義化(都市化の産物)によるものではない。■生活必要時間(睡眠/食事ほか)は、もちろん労働力供出の準備時間帯として、余暇時間さえも、労働力の再生(recreation)時間として編成し、企業城下町のばあいなら、双方の時間に消費される財自体が市場形成に貢献するという、超「フォード主義」的労務管理が 要求した、「滅私奉公」主義のもたらした必然的なありようだった。■企業の一部は育児や教育にてを だしはじめたようだが、ごく例外的な例を のぞけば、ほとんどの企業は徹底的に 私生活の徹底的犠牲を要求し、その論理的帰結として、育児は私事化し、家族社会学的にいえば、経済階層、文化階層に、冷厳に規定されたかたちで、階層分化が格差拡大、ないしは固定化という展開がよめる。
■岡崎先生が 具体的諸相を 紹介してくださっているのは、日本列島の各地で、少数ではあっても、ごく普通に発生している「家族の肖像」(「症状」といいかえてもいいかもしれないが)であり、それを例外視した、公教育政策など無意味と断言される、先生の判断は、ただしいとおもう。■前回とのからみでいえば、たとえば 是枝裕和監督作品『誰も知らない』は、1980年代末に首都圏で実際におきた、おきざり事件が素材となっている。■ああいった、極端な事例について、転居もしらされていない校区の先生方に 責任はないと、いってよかろう。しかし、すくなくとも、大家や 近隣の家庭が、「都市的不干渉の美徳」とやらを アリバイに、直感できただろう「異様さ」から 正視をさけつづけていただろうこと(「自分に火の粉がかかる事態だけはさけたい」)の、端的な あらわれだろう。■家庭内暴力や児童虐待が、最近急激に「発生件数」が ふえているのも、それだけ ひとびとが 以前より暴力的になったのではなくて、「都市生活者の美学」を かくれみのに、「われ関せず」を うそぶきつづけてきた ことへの、うしろめたさが、ようやく 「通報件数の増大」に つながったにすぎないと解釈すべきだろう。■しかし、多少は、マシになったにみえる「近隣による通報」状況とはいえ、依然として、虐待による死傷事件は 沈静化をみせない。■それは、加害者がわが「どうせ、他人は、自分たちのことで、ていっぱい」という、あしもとを みきっているからであり、それが、事実、周囲の家庭のホンネと「無自覚な共犯関係」になるからだと、ハラナは 推測する。
■ともかく、時間、経済的資源、心身的エネルギー、人員などを、充分に、コドモたちに、あてがってやれる層が一部いる一方、日本列島住民の相当部分が 「多忙化」して、ユトリを うしなっている。■そんななかで、「やすみを へらせ」「学力あげろ」「給料はおさえろ」「ひとも、なるべく ふやすな」などと、つごうの いいことばかりを いいたてる、保護者と市民は、こまりものである。■ハラナは、一応、うえのような構造は、ふまえている つもりなので、クチが まがっても、個人的に その先生がきらいで、たまたま 口論になったにしても、うえのような話題をケンカの ネタには、絶対つかわない(笑)。
 【数日後かもしれないが、いずれにせよ、つづく】

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